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水鏡
下桓武
延暦三年十一月十一日戊申、長岡の京にうつり給ふ、同四年八月にならの京へ行幸侍りき、長岡の京には、中納言種継留守にて候しお、みかどの御おとヽの早良の親王東宮とておはせしが、人おつかはしていころさしめ給ひてき、ことのおこりは、みかどつねにこヽかしこに行幸し給ひて、世のまつり事お東宮にのみあづけたてまつりし(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)かば、天応二年に佐伯今毛人といひし人お宰相になさせ給ひたりしお、みかどかへらせ給ひたりしに、この種継、佐伯の氏のかヽることはいまだ侍らずと御門に申しかば、宰相おとり給ひしお、東宮よにくちおしき事におぼして、種継おたまはらんと申しお、みかどむつかり給ひて、さらに聞給はずして、このヽち東宮にまつり事おあづけたてまつり給ふ事なくなりにしお、やすからずおぼして、そのひまおとしごろうかヾひたまひつるに、よきおりふしにて、かくしたまひつる也、