[p.1344][p.1345]
神皇正統記
後醍醐
又の年戊寅の春二月、〈◯中略〉陸奥の御子〈◯後村上〉又東へむかはしめ給ふべき定あり、〈◯中略〉親王は儲の君にたヽせ給ふべきむね申きかせ給ふ、道の程もかたじけなかるべし、〈◯中略〉七月の末つかた、伊勢に越させ給ひて、神宮に事のよしお啓して、御船のよそひし、九月のはじめ、ともづなおとかれしに、十日比のことにや、上総の地ちかくより、空のけしきおどろ〳〵しく、海上あらくなりしかば、又伊豆の崎といふ方にたヾよはれ侍りしに、いとヾ波風おびたヾしくなりて、あまたの船行かたしらず侍りけるに、御子の御船はさはりなく、伊勢の海につかせ給ふ、〈◯中略〉方々にたヾよひし中に、此二つの舟おなじ風にて、東西に吹わけらる、末の世にはめづらかなるためしにぞ侍るべき、儲の君にさだまらせ給ひて、例なきひなの御住居もいかヾとおぼえしに、皇大神のとヾめ申させ給ひけるなるべし、後に芳野へ入せまし〳〵て、御目の前にて天位おつがせ給ひしかば、いとヾ思ひあはせられてたふとくも侍るかな、