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神皇正統記
後醍醐
後二条世おはやくしまし〳〵て、父の上皇〈◯後宇多〉なげかせ給ひし中にも、よろづ此君〈◯後醍醐〉にぞ委附し申させ給ひける、やがて儲君のさだめありしに、後二条の一の御子邦良の親王居給ふべきかと聞えしに、おぼしめす故ありて、此親王お太子にたて給ふ、彼の一の御子おさなくましませば、御子の儀にて伝へさせ給べし、若邦良の親王早世の御事あらば、此御すえ継体たるべしとぞしるしおかせまし〳〵ける、彼親王鶴膝の御病ありて、あやうくおぼしめしける故なるべし、〈◯中略〉かヽりし程に後宇多院かくれさせ給ひて、いつしか東宮〈◯邦良〉の御方にさぶらふ人々そば〳〵に聞えしが、関東に使節おつかはされ、天位おあらそふまでの御中らひに成にき、あづまにも東宮の御事おひきたて申す輩ありて、御いきどほりのはじめとなりぬ、元亨甲子の九月のすえつかた漸事あらはれにしかども、うけたまはりおこなふ中にいふがひなき事出きにしかど、大方は事なくてやみぬ、其後ほどなく東宮かくれ給ふ、神慮にもかなはず、祖皇の御いましめにもたがはせ給ひけりとぞおぼえし、