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栄花物語
一月宴
月日も過て康保四年になりぬ、月頃うち〈◯村上〉にれいならず、なやましげにおぼしめして、〈◯中略〉御心ちいとおもければ、小野宮のおとゞ〈◯藤原実頼〉しのびて奏し給、もし非常のこともおはしまさば、東宮にはたれおかと御けしき給はりたまへば、式部卿の宮〈◯為平〉おとこそおもひしかど、いまにおきてはえい給はじ、五宮〈◯円融〉おなんしか思ふとおほせらるれば、うけたまはり給ひぬ、〈◯中略〉つひに五月廿五日にうせ給ひぬ、東宮〈◯冷泉〉くらいにつかせ給、〈◯中略〉春宮の御事、まだともかくもなきに、よの人みな心々に思さだめたるもおかし、おとゞはみなしりておはすめるものおと、よろづ御のちの事どもいといみじ、〈◯中略〉すこし心のどかになりても、春宮の御事有べかめる、式部卿宮わたりには、人しれずおとゞの御けしきおまちおぼせど、あへておとなければいかなればにかと御むねつぶるべし、源氏のおとゞ〈◯源高明〉もしさもあらずば、あさましうもくちおしうもあべきかなと物思ひにおぼされけり、かゝる程に九月一日東宮たち給、五宮〈◯円融〉ぞたゝせ給、〈◯中略〉源氏のおとゞ〈◯中略〉あさましく思ひのほかなる世中おぞ、心うきものにおぼしめさるゝ程に、年もかへりぬ、〈◯中略〉かゝる程に世中にいとけしからぬ事おぞいひ出たるや、それは源氏の左のおとゞの、式部卿の宮の御事お覚して、みかどおかたぶけ奉らむとおぼしかまふといふ事いできて、よにいときゝにくゝのゝしる、いでやよにさるけしからぬ事あらじなど、よ人申思ふ程に、仏神の御ゆるしにや、げに御心のうちにもあるまじき御心やありけん、三月廿六日〈◯安和二年〉に、この左大臣殿にけびいし打かこみて、宣命よみのゝしりて、みかどおかたぶけたてまつらむとかまふるつみによりて、大宰権帥になして、ながしつかはすといふことおよみのゝしる、〈◯中略〉式部卿の宮の御心ち、おほかたならんにてだにいみじとおぼさるべきに、まいてわが御事によりていできたることゝおぼすにせんかたなくおぼされて、われも〳〵といでたちさわがせ給、