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水鏡
下嵯峨
弘仁十四年、みかど位お御おとゝの東宮〈◯淳和〉にゆづりたてまつりて、やがてその御子の、治部卿親王恒世お東宮にたて申給ひしお、親王あながちにのがれ申給ひて、こもりいて御つかひおだにかよはし給はざりしかば、仁明天皇の御子にておはしましゝお、東宮にたて申たまひき、位おこそ東宮にておはしませばかぎりありてゆづりたてまつり給はめ、わが御子のおはしまさぬにてもなきに、おとゝの御子お、東宮にさへたてたてまつらむとし給ひし御心は、ありがたかりしことなり、