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水鏡
下光仁
この后〈◯井上内親王〉御年五十六になり給ひき、此御腹の他戸の親王は、御門の第四の御子にて、御年などもいまだいとけなくおはしまして、ことしは十二にぞなり給ひしかども、此后の御はらにておはせしかば、兄たちお置たてまつりて、こぞの正月に東宮に立給ひしぞかし、〈◯中略〉百川此ほどの事どもおうかゞひ見るに、后まじわざおして、御井にいれさせ給ひき、みかどおとくうしなひたてまつりて、我御子の東宮お位につけたてまつらむといふ事どもなり、其井にいりたる物おある人とりて、宮のうちにもてあつかひしかば、此事みな人しりにき、〈◯中略〉百川此ことおきゝて、あさましく侍る事なり、后おしばし縫殿の寮に渡したてまつりて、こらしめたてまつらん、又東宮もあしき御心のみおはす、世のため、いと〳〵不便に侍ると申しかば、みかどよからんさまにおこなふべしとの給ひしかば、〈◯中略〉百川いつはりて宣命おつくりて、人々おもよふして、太政官にして宣命およましむ、皇后及皇太子おはなちおひたてまつるべきよしなり、此事おある人みかどに申に、みかどおほきにおどろき給ひて、百川おめして、后なほこり給はず、しばし東宮おしりぞけんとこそ申こひつるに、いかにかゝる事はありけるぞとの給ふに、百川申ていはく、しりぞくとはながくしりぞくる名也、母つみあり子おごれり、誠にはなちおはんにたれる事なりと、すこしも私あるけしきなく、ひとへに世のためと思ひたる心かたちにあらはれて見えしかば、みかどかへりて百川におぢ給ひて、ともかくもの給はせずして、うち〳〵になげきかなしび給ふ事かぎりなかりき、