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水鏡
下桓武
八月〈◯延暦四年〉にならの京へ行幸侍りき、〈◯中略〉長岡の京には中納言種継留守にて候しお、みかどの御おとゝの早良親王東宮とておはせしが、人おつかはしていころさしめ給ひてき、〈◯中略〉かくて十月に、東宮おおとくにでらにこめたてまつり給へりしに、十八日までその命たえ給はざりしかば、あはぢの国へながしたてまつり給ひしに、山さぎにてうせさせ給ひにき、〈◯中略〉同十九年七月己未、みかど思ふところありとのたまひて、前東宮早良親王お崇道天皇と申、又井上内親王お皇太后とすべきよし仰られき、おの〳〵まさぬあとにも、うらみの御心おしづめたてまつらむとおぼしめしけるにこそ侍るめれ、