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水鏡
下嵯峨
弘仁元年〈◯中略〉九月に内侍のかみ〈◯薬子〉太上天皇〈◯平城〉おすゝめたてまつりて、位にかへりつきて、われ后にたゝんといふ事いできて、世中静ならずさゞめきあへりし程に、みかど内侍のかみのつかさ位おとり給ひ、、仲成〈◯薬子兄〉お土佐国へながしつかはすよし宣旨おくださせ給ひしに、〈◯中略〉十一日に太上天皇いくさおおこして、ないしのかみとひとつ御こしにたてまつりて、東国のかたへむかひ給ひしに、〈◯中略〉大納言田村麻呂、宰相綿麿おつかはして、そのみちおさへぎりて、仲成おいころしてき、太上天皇すぢなくてかへり給ひて、御ぐしおろして入道し給ひてき、御年三十七なり、内侍のかみみづから命おうしなひてき、おそろしかりし人の心なり、太上天皇の御子の東宮〈◯高丘〉おすてたてまつりて、みかどの御おとゝの大伴親王とて、淳和天皇のおはしましゝお、東宮にたて申させ給ひき、