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増鏡
十五村時雨
元弘元年、〈◯中略〉かゝるにつけては、一御ぞうのみいまはわくかたなくさだまり給ふべきかと、世の人も思ひきこゆる程に、亀山院の御ながれのたゆべきにはあらずとにや、先坊〈◯邦良〉の一宮〈◯康仁〉お太子にたてまつる、御めのとの雅藤の宰相の、法性寺の家に渡らせ給へるお、土御門高倉の先坊の御跡へ入たてまつりて、十一月八日に坊にさだまり給ふ、今は思たえぬる心ちしつるにいとめでたし、松が浦島に年へ給ひぬる入道の宮も、御おやの心ちにておはしますべければ、太上天皇になずらへて、崇明門院〈◯邦良妃禖子〉と聞ゆ、