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愚管抄

さて後朱雀の御やまひおもくて、後冷泉に御譲位ありけることお、宇治殿〈◯藤原頼通〉まいりて申しさたしてたゝせたまひけるに、後三条の御ことのなにとも沙汰もなかりけるに、御堂〈◯藤原道長〉おと子の中に能信の大納言といふ人ありけり、閑院の公成中納言のむすめお子にしてありけるお、後三条の后にはまいらせたる人なり、宇治殿たゝせたまひける跡にまいりて、二宮〈◯後三条〉御出家の御師のことは、この次に仰せおかるべくや候らんと申たりければ、こはいかに二宮東宮にたゝんずる人おばと勅答ありけるおきゝて、さてはけふその御さた候はで、いつかは候べきと申たりければ、まことにおもひわすれてやまひ重くてとおほせられて、宇治殿めし返して、譲位の宣命に皇太子のよしのせられにけり、能信おば閑院東宮の大夫とぞ申、この申やうこそふかしぎなれと人おもへり、白河院〈◯後三条皇子〉のつねに能信おば故春宮大夫殿おはせずば、我身はかゝる運もあらましやと仰られけるには、かならず〳〵殿の字お付ておほせられけり、やんごとなきことなり、