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源平盛衰記
十三
高倉宮廻宣附源氏汰事
一院〈◯後白河〉第二の御子以仁王と申は、〈◯中略〉三条高倉に御坐ければ、高倉宮(○○○)とぞ申ける、〈◯中略〉既に三十に成せ給ぬれども、親王の宣旨おだにも不被下して、沈てぞ御坐ける、御手跡も厳く、御才覚も優に御坐けり、御位に即せ給たらば、末代の賢王とも申つべしなど人々申けれども、女院〈◯後白河后建春門院徳子〉には継子にて渡らせ給ければ被打籠つヽ、〈◯中略〉等閑に年月お過させ給けり、