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古事記伝
二十
四墓は贈太政大臣正一位藤原朝臣多武峯墓、藤原朝臣冬嗣墓、尚侍藤原朝臣美都子墓、源朝臣潔姫墓これなり、冬嗣公は文徳天皇の御外祖、美都子は同御外祖母、潔姫は当代〈◯清和〉の御外祖母なればなり、然るに多武峯墓は不比等公にて、聖武孝謙の御外祖にこそあれ、清和の御代に殊に祭らるべき由はなきに、此内に置れたるは、此時天皇は未幼坐々ば、凡て良房大臣の御心より出たる故なるべし、さて三代実録今本に、右の多武峯墓鎌足とあるは、後人のなまさかしらに改めつるものなり、古本には此名なし、多武峯は不比等と諸陵式にも見え、贈太政大臣正一位も鎌足にてはかなはぬ物おや、