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栄花物語
十一莟花
長和二年七月六日の夕かたより御けしきあるさまにおはしませば、〈◯三条后妍子藤原道長〉〈女〉御いのりの僧どもこえおあはせてのゝしる、加持まいり、うちまきしさわぐ、〈◯中略〉日ごろいみじかりつる御いのりのしるしにや、いぬの時ばかりにいとたひらかにみこ〈◯三条皇女禎子内親王〉むまれ給ぬ、〈◯中略〉女におはしませば、うち〈◯三条〉にもいますこし、心ことにおきてきこえさせ給、たゞおなじくばとたれもおぼさるべし、されど春宮〈◯後一条〉のむまれ給へりしお、とのゝおまへ〈◯藤原道長〉の御はつむまごにて、栄花のはつはなときこえたるに、この御ことおばつぼみ花とぞ聞えさすべかめる、〈◯中略〉九月にも成ぬれば、行幸の事けふあすの程にいそがせ給ふ事いみじ、宮の女房のなりいみじきに、かんの殿〈◯後一条后威子〉の御かた、とのゝうへ〈◯道長妻倫子〉の御かた、われも〳〵とのゝしることいみじ、ふねのがくなどいみじくとゝのへさせ給へり、行幸の有さまみな例のさほうなれば、かきつゞくまじ、大宮〈◯一条后彰子〉の東宮〈◯後一条〉のむまれさせ給へりしのちの行幸、たゞそのまゝの有さまなり、〈◯中略〉うへ、〈◯中略〉御帳のうちにいらせ給て、月比の御物語など、心のどかに聞え給、かくうつくしき人おいままで見ざりつる事、なほめでたき事なれど、この身のありさまこそくるしけれ、いみじく思人のともかくもおはせんお、とみにもみぬ事、いみじくくちおしかしなど万に聞えさせ給て、いざちごむかへてなかにふせて見ん、いみじくうつくしきものかな、この宮達のちごなりしおこそうつくしうみしかど、なほそれはれいのありさまなり、これはことのほかにおかしくみゆるは、かみのながければなめり、なほ〳〵とく〳〵いらせ給へ、うちにてはめのといるまじ、まろめのとにてはべらんなど聞えさせ給へば、ものぐるほしとてすこしわらはせ給、かゝる程に日もくれぬれば、上達部の御あそびになりぬるがいみじくなつかしくおもしろきに、〈◯中略〉とみに出させ給まじき御けしきなれば、殿いらせ給て、よにいりはべりぬ、かばかりおもしろきあそびども御覧せんと申させ給へば、いとおもしろしときゝ侍り、がくのこえはきくこそおもしろけれ、見るはおかしうやはある、さま〴〵のまひどもはみな見はべりぬといとのどかにの給はすれば、すげなくて出させ給ぬ、〈◯中略〉よろづあさましくめでたきとのゝありさまなり、このつちみかど殿にいくそたび行幸あり、あまたのきさきいでいらせ給ぬらんと、よのあえ物にきこえつべき殿なり、これお勝地といふなりけり、これお栄花といふにこそあめれと、あやしのものどもの、しもおかぎれるしなどもゝよろこびえみさかえたり、