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大鏡
七太政大臣道長
春日の行幸は、さきの一条院の御時よりはじまれるぞかし、それに当代〈◯後一条〉おさなくおはしませども、かならずあるべき事にて、はじまりたるれいになりにたれば、大宮〈◯彰子〉御こしにそひ申させ給ひておはします、よのつねならずときの御おほぢにてうちそひつかふまつらせ給ふ、殿〈◯藤原道長〉の御ありさま御かたちなど、すこしよのつねにもおはしまさましかばあかぬ事にや、そこらあつまりたるいなかせかいのたみ百姓、これこそたしかにみたてまつりけめ、たゞてんりんしやうわうなどは、かくやとひかるやうにおはしますに、仏お見たてまつりたらんやうに、ひたいに手おあてゝおがみまどふさまことわりなり、大宮のあかいろの御あふぎ、御かたの程などはすこしみえ給ひけり、かばかりにならせ給ひぬる人は、つゆの御すきかげもふたぎ、いかゞとこそもてかくし奉るに、ことかぎりあれば、けふはよそほしき御ありさまも、すこしは人の見たてまつらんもなどかはやともやおぼしけん、とのも宮もいふよしなく御心ゆかせ給へりけることおしはかられ侍るは、殿、大宮に、
 そのかみやいのりおきけんかすがのゝおなじみちにもたづねゆくかな、御かへし、 くもりなきよのひかりにや春日野のおなじみちにもたづねゆくらん、かやうに申かよはせ給ふほどの、げに〴〵ときこえて、めでたく侍りし、なかにも大宮のあそばしたりし、
 みかさ山さしてぞきつるいそのかみふるきみゆきの跡おたづねて、これらぞな、おきななどが心のおよばぬにや、あがりてもかくばかりの秀歌えさぶらはじ、その日にとりては、春日明神のよませ給へりけるとおぼえ侍り、