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神皇正統記
光孝
天皇諱は時康、小松の御門とも申す、〈◯中略〉陽成しりぞけられ給ひし時、摂政昭宣公、〈◯藤原基経〉諸の皇子お相し申されけり、この天皇、〈◯中略〉人主の器量、余の皇子たちにすぐれましましけるによりて、即ち儀衛おとゝのへて迎へ申されけり、〈◯中略〉践祚のはじめ摂政お改めて関白とす、これ我朝の関白のはじめなり(○○○○○○○○○○○○○)、漢の霍光、摂政たりしが、宣帝のとき政お還して退きけるお、万機の政なほ光に関り白さしめよとありしが、その名おとりて授けられにけり、〈◯中略〉この御世より藤氏の摂籙の家も他流にうつらず、昭宣公の苗裔のみぞたゞしくつたへられにたる、上は光孝の御子孫、天照大神の王統とさだまり、下は昭宣公の子孫、天児屋根命の嫡流となりたまへり、二神の御ちかひたがはずして、上は帝王三十九代、下は摂関四十余人、四百七十余年にもなりぬるにや、