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大鏡
七太政大臣道長
女院〈◯詮子〉は入道殿〈◯藤原道長〉おとりわきたてまつらせ給ひて、いみじうおもひ申させ給へりしかば、帥殿〈◯伊周〉はうと〳〵しくもてなさせ給へりけり、みかど〈◯一条〉皇后宮〈◯定子、伊周妹、〉おねんごろにときめかさせ給ふゆかりに、帥殿はあけくれ御前に候はせ給ひて、入道殿おばさらにも申さず、女院おもよからず、ことにふれて申様おおのづから心やえさせ給ひけん、いともほいなき事におぼしめしけることわりなりな、入道殿のよおしらせ給はんことお、みかど〈◯一条〉いみじうしぶらせ給ひけり、皇后宮父おとゞ〈◯道隆〉おはしまさで、よの中おひきかはらせ給はんことお、いと心ぐるしうおぼしめして、あはた殿〈◯道兼〉おもとみにやはせんじくだせさせ給ひし、されど女院のだうりのまゝのこともおぼしめし、また帥殿おばよからずおもひきこえさせ給ひければ、入道殿の御事おいみじうしぶらせたまひけれど、いかでかくはおぼしめしおほせらるゝぞ、大臣こえられたる事だにいと〳〵おしう侍りしに、ちゝおとゞのあながちにし侍りし事なれば、いなびさせ給はずなりにしにこそ侍れ、あはたのおとゞにはせさせで、これにしも侍らざらむは、いとおしさより御ためなんいとびなくよの人もいひなし侍らんなど、いみじうそうせさせ給ひければ、むづかしうやおばしめされけん、後にはわたらせ給はざりけり、さればうへの御つぼねにのぼらせ給ひて、こなたへとは申させ給はで、我よるのおとゞにいらせ給ひて、なく〳〵申させ給ふ、その日は入道殿はうへの御つぼねに候はせ給ふ、いとひさしういでさせ給はねば、御むねつぶれさせ給ひける程に、とばかり有て、とおしあけてさしいでさせ給へりける御かほは、あかみぬれつやめかせ給ひながら、御くちは心よくえませ給ひて、あはやせんじくだりぬとこそ申させ給ひけれ、いさゝかの事だにみな此よならず侍るなれば、いはんやかばかりの御ありさまは、人のともかくもおぼしおかんによらせ給ふべきにもあらねど、いかでかは院おおろかにおもひ申させ給はまし、〈◯中略〉中関白殿〈◯道隆〉あはた殿うちつゞきうせさせ給ひて、入道殿にようつりしほどは、さもむねつぶれてきよ〳〵とおぼえ侍りしわざかな、