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愚管抄

宇治殿〈◯藤原頼通〉は後一条後朱雀後冷泉三代の御門の外舅にて、五十年ばかり執政の臣にておはしけり、後冷泉のすえに、摂政お大二条殿〈◯教通〉と申は、宇治殿の御弟也、てゝの御堂〈◯道長〉もよき子とおぼして、宇治殿にもおとらずもてなされけるが、年七十にて左大臣なりけるお我御子には道房の大将とて、かぎりなくみめよく人用いたりける御子の、廿にてうせられける後、京極の大殿師実は、むげにわかき人にてありければ、越れむ事のいたましくおぼさるゝ程の器量にて、大二条殿ありければ譲らせ給ひけるお、世の人宇治殿の御高名、善政の本体と思へりけり、