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保暦間記
建久三年三月十三日法皇崩御なる、後追号おば後白河院と申、保元より打続き世乱れて、御心安き事も無て、年お送せ御坐き、是末代に成りぬる故に、皇法のすたれ行と覚えたり、主上〈◯後鳥羽〉幼帝に坐しければ、昔の如く摂政〈兼実公、月輪殿、〉政事お仕給けり、大方は一向関東の任にそ成ける、