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保暦間記
天福元年十二月二日主上〈◯後堀河〉の一宮〈◯四条〉に譲国ありき、先帝おば後堀川院と申て、院中にて政おせさせ給ふ処に、同二年文暦元年也、八月六日崩御成せ給ふ、当今僅四歳に成せ給けり、幼帝にて為渡給ければ、関白道家昔の如く摂政し給けり、関東の将軍〈◯頼経〉も此息男にて御坐しければ、公家武家一にてぞ有ける、