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神皇正統記
陽成
天皇諱は貞明、清和第一の子、御母は皇太后藤原の高子、〈二条の后と申す〉贈太政大臣長良のむすめなり、丁酉のとし即位改元、右大臣基経摂政して太政大臣に任ず、〈この大臣は良房の養子なり、実は中納〉〈言長良の男、この天皇の外舅なり、〉忠仁公の故事のごとし、この天皇性悪にして、人主の器にたへず見えたまひければ、摂政なげきて、廃立のことおさだめられにけり、むかし漢の霍光、昭帝世おはやくしたまひしかば、昌邑王お立て天子とす、昌邑不徳にして器にたへず、即廃立おおこなひて、宣帝お立てたてまつりき、霍光が大功とこそしるしつたへはべるめれ、この大臣まさしき外戚の臣にて、政おもつはらにせられしに、天下のため、大義おおもひてさだめおこなはれける、いとめでたし、されば一家にも人こそおほくきこえしかど、摂政関白は、この大臣のすえのみぞたえせぬことになりにける、つぎ〳〵大臣大将にのぼる藤原の人も、みなこの大臣の苗裔なり、積善の余慶なりとこそおぼえはべれ、