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愚管抄

この小松の御門、〈〇光孝〉御病おもくてうせさせ給ひけるに、御子あまたおはしましけれども、位おつがせんことおばさだかにもえ仰られず、今われ君と仰らるヽことも此おとヾ〈〇藤原基経〉のわざなれば、又はからひ申てんと思召けるにや、御病のむしろに昭宣公参り給ひて、今は誰にか御譲さふらふべきと申されけるに、其事也、たゞ御はからひにこそと仰られければ、寛平〈〇宇多〉は王侍従とて、第三の御子おはしましけるお、それにておはしますべく候、よき君にておはしますべきよし申されければ、かぎりなく悦ばせ給ひて、やがてよびまいらせて、そのよし申させ給ひけり、寛平御記には、左の手にては公が手おとり、右の手にては朕が手おとらへさせ給ひて、なくなく公恩まことにふかし、よく〳〵是おしらせ給へと申おかれけるよしこそ申おかれたんなれ、なか〳〵かやうのことは、かくその御記おみぬ人まで、もれきく事のかた端お書付たるお、まさしく御記おみん人も見あはせたらば、我ものになりてあはれに侍なり、