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大鏡
四右大臣師輔
この后〈〇村上后安子〉の御はらには、式部卿の宮〈〇為平〉こそは、冷泉院の御つぎに、まづ東宮にもたち給ふべきに、西宮殿〈〇源高明〉の御むこにておはしますにより、御おとゝの〈円融院〉つぎの宮にひきこされさせ給へるほどなどの事ども、いといみじく侍り、そのゆえは、式部卿〈為平〉御門にいさせ給ひなば、西宮殿〈高明〉の御ぞうによの中うつりて、源氏の御さかえになりぬべければ、御おぢたちのたましひふかく非道に御おとゝおひきこし申させたてまつらせ給へるぞかし、世のなかにも宮の中にも、殿ばらのおぼしかまへけるおば、いかでかはしらん、次第のまゝにこそはと、式部卿宮の御事お思ひ申たりしに、俄に若宮〈円融院〉御ぐしかいけづり給へなど御めのとたちに仰せられて、大入道殿〈〇藤原兼家〉御車にうちのせたてまつりて、北の陣よりなんおはしましけるなどこそつたへ承りしか、されば道理あるべき御かたの人たちはいかゞはおぼされけん、その此宮たちあまたおはせしかど、ことしもあれ、威儀のみこおさへせさせ給へりしよ、み給へりける人もあはれなる事にこそ申けれ、そのほど西宮殿御心ちよな、いかゞおぼしけん、さてぞかし、おそろしくかなしき御事どもいできにしは、かやうに申も中々にいといとことおろかなりや、かくやうの事は人中にてげらうの中にいとかたじけなし、とゞめさぶらひなん、されどなほわれながらふあひの物にておぼえ候にや、
 〇按ずるに、大鏡に、おそろしくかなしき御事どもいで来にしかば雲々と雲へるは、高明が流竄に遇へるお指せるなり、