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源平盛衰記
十六
満仲讒西宮殿事冷泉院御位の時、現御心もなく御物狂はしくのみ御坐ければ、ながらへて天下お知召さん事もいかヾと思食けるに、御弟の染殿式部卿宮〈〇為平〉は、西宮の左大臣の御婿にておはしけるお、能人にて渡らせ給ふと申ければ、中務丞橘敏延、僧連茂、多田の満仲、千晴など寄合て、式部卿宮お取奉て東国へ趣、軍兵お起、即位進せんと、右近の馬場にて夜々談議しける程に、満仲心替して此由お奏聞しけるに依て、西宮殿は被流罪給にけり、敏延は播磨国お賜らん、連茂は一度に僧正にならんとて、斯る事お思ひ立けり、満仲返り忠しける事は、西宮殿にて敏延と満仲と相撲お取けるに、満仲力劣にて格子に被抛付顔お打欠たり、満仲不安思て腰刀お抜て敏延お突んとしける、敏延高欄の棖木お引放て、近付ばしや頭お打破らんとて立跨て有ければ、満仲不及力さて止ぬ、時の人ああ源氏の名折たりと雲ければ、敏延お失はんとて返忠したりといへり、西宮殿は聊も不知召けるお敏延失ん為に讒訴の次に、式部卿宮の御舅なればとて讒し申けるお、一条左大臣師尹殊に申沙汰して、西宮左大臣お流して、其所に成替給たりけるが、幾程もなく声の失る病おし、一月余り悩て失給にけり、