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大鏡
一花山
寛和二年丙戌六月廿三日の夜、あさましく候し事は、人にもしられさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしとぞ、〈〇中略〉あはれなる事は、おりおはしましけるよは、ふぢつぼのうへの御つぼねの小どよりいでさせ給ひけるに、有明の月のいみじうあかゝりければ、見証にこそありけれ、如何あるべからむとおほせられけるお、さりとてとまらせ給ふべきやう侍らず、神璽寳剣わたり給ひぬるにはと、あはたのおとゞ〈〇道兼〉さはがし申給ひける事は、まだ御門出させ給はざりけるさきに、しんじほうけん手づからとりて、東宮〈〇一条〉の御方に渡し奉り給ひてければ、かへりいらせ給はん事はあるまじくおぼして、しか申させ給ひけるとぞ、さやけきかげおまばゆくおぼしめしつる程に、月のおもてにむら雲のかゝりて、すこしくらかりければ、わが出家は成就するなりけりとおほせられて、あゆみいでさせ給ふ程に、こき殿の女御の御ふみの日ごろやりのこして、御身もはなたず御覧じけるおおぼしめしいでゝ、しばしとてとりにいらせ給ひけるほどぞかし、あはた殿のいかにかくはおぼしめしたちぬるぞ、たゞ今すぎなばおのづからさはりども、いでまうできなんとそらなきし給ひける、〈〇中略〉花山寺におはしましつきて、御ぐしおろさせ給ひてのちにぞ、あはた殿はまかりいでゝ、おとゞにもかはらぬすがた今一度見え、かくとあんないも申て、かならずまいり侍らんと申給ひければ、われおばはかるなりけりとてこそ泣かせ給ひけれ、あはれに悲しきことなりな、日頃よく御弟子にて侍らはんとちぎりすかし申給ひけんがおそろしさよ、東三条殿〈〇道兼父兼家〉は若さる事やし給ふと危さに、さるべくおとなしき人々、何がしかゞしといふいみじき源氏の武者たちおこそ御送りにそへられたりけれ、京の程はかくれて、堤の渡りよりぞうちいでまいりける、寺などにてはもしおして人などやなし奉るとて、一尺ばかりのかたなどもぬきかけてまもり申けるとぞ、