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栄花物語
九石蔭
御門〈〇一条、中略、〉この頃一条院にぞおはします、〈〇中略〉六月〈〇寛弘八年〉七八九日の程なり、いまはかくておりいなむとおぼすお、さるべきさまにおきて給へとおほせらるれば、殿〈〇藤原道長〉うけたまはらせ給て、春宮に御たいめんこそは例の事なれとて、覚しおきてさせ給程に、春宮には一宮〈〇敦康〉おとこそおぼしめすらめど、中宮〈〇道長女彰子〉の御心のうちにもおぼしおきてさせ給へるに、うへおはしまして、東宮の御たいめいそがせ給に、世人いかなべいことにかとゆかしう申思ふに、一宮の御かたざまの人々、わか宮〈〇後一条〉かくてたのもしう、いみじき御なかよりひかり出させ給へる、いとわづらはしうさやうにこそはとおもひきこえさせたり、又あるひはいでやなどおしはかりきこえさせたり、東宮行啓あり、十一日にわたらせ給程いみじうめでたし、一条院にはいかにおはしまさんとすらんよりほかのなげきに、春宮がたの殿上人など、思ふ事なげなるもつねのことながら、よのあはれなることたゞ時のまにてかはりける、さてわたらせ給へれば、みすごしに御たいめありて、あるべき事ども申させ給、よにはおどろ〴〵しうきこえさせつれど、いとさはやかによろづの事聞えさせ給へば、世の人のそらごとおもしけるかなと宮はおぼさるべし、位もゆづりきこえさせ侍りぬれば、東宮にはわか宮おなん物すべうはべる、だうりのまゝならば、そちのみや〈〇敦康〉おこそはと思ひ侍れど、はか〴〵しきうしろみなどもはべらねばなむ、おほかたの御まつりごとにもとし比したしくなど侍りつるおのこどもに、御ようい有べきものなり、みだりごゝちおこたるまでも、ほいとげはべりなんとし侍り、またさらぬにても、あるべき心ちもし侍らずなど、さま〴〵あはれに申させ給ふ、春宮も御目のごはせ給べし、さてかへらせ給ぬ、中宮はわか宮の御事さだまりぬるお、れいの人におはしまさば、ぜひなくうれしうこそはおぼしめすべきお、うへはだうりのまゝにとこそはおぼしつらめ、かの宮もさりともさやうにこそはあらめとおぼしつらんに、かのよのひゞきにより、ひきたがへおぼしおきつるにこそあらめ、さりともと御心のうちのなげかしうやすからぬ事には、これおこそおぼしめすらんといみじうこゝろぐるしういとほし、わか宮はまだいとおさなくおはしませば、おのづから御すくせにまかせてありなむ物おなどおぼしめいて、殿の御まへにも、なほこの事いかでさらでありにしがなとなむ思はべる、かの御心の内にはとし比おぼしつらんことのたがふおなんいと心ぐるしうわりなきなど、なく〳〵といふばかりに申させ給へば、殿の御まへ、げにいとありがたき御ことにもおはしますかな、又さるべきことなれば、げにと思給てなんおきてつかうまつるべきお、うへおはしまして、あべい事どもおつぶ〳〵とおほせらるゝに、いな猶あしうおほせらるゝ事なり、しだいにこそとそうしかへすべきことにもはべらず、世中いとはかなう侍れば、かくてよにはべるおり、さやうならん御ありさまも見たてまつりはべりなば、後の世もおもひなく、心やすくてこそ侍らめとなん思給ふると申させ給へば、又これもことわりの御事なれば、かへしきこえさせ給はず、