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大鏡
三左大臣師尹
このたびの東宮には、式部卿の宮〈〇一条皇子敦康〉おとこそは思しめすべけれ、一条院のはかばかしき御後見なければ、東宮に当代お立て奉るなりとおほせられしかば、これもおなじ事なりと思し定めて、寛仁元年丁巳八月九日こそは九歳にて、三宮〈〇後朱雀〉東宮に立たせ給ひて、同月の廿三日にこそは、壺切といふ大刀は内よりもて参りしか、当帝位に即かせ給ひしかば、すなはち東宮にも参るべかりしお、しかるべきにやありけむ、とかくさはりて、この年比内のおさめ殿に候ひつるぞかし、〈〇中略〉故三条院度々申させ給ひしかども、とかく申しやりて奉らせざりしとこそ聞き侍りしか、されば故院もさむばれ、なくとも立てではとておはしましゝなり、