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愚管抄

主上二条院の外舅にて、大納言経宗、ことに鳥羽もつけまいらせられたりける惟方、撿非違使別当にて在ける、この二人主上にはつきまいらせて、信頼同心のよしにて有ける、〈〇中略〉後白河院おば、その〈〇永暦元年〉正月六日、八条堀河の顕長卿が家におはしまさせけるに、その家には桟敷の有けるにて、大路御覧じて、下衆など召寄られければ、経宗惟方などさだして、堀河の桟敷お板にて外よりむす〳〵と打つけてけり、かやうの事どもにて、大方此二人して世お院にしらせまいらせじ、内の御沙汰にてあるべしと雲けるお聞召て、院は清盛おめして、わが世にありなしはこの惟方経宗にあり、是ら思ふ程いましめてまいらせよとなく〳〵仰有ければ、その御前には法性寺殿もおはしましけるとかや、清盛又思ふやうども有けん、忠景為長と雲二人の郎等して、この二人おからめとりて、陣頭に御幸なして、御車の前に引すえて、おめかせてまいらせたりけるなど世には沙汰しき、その有さまはまが〳〵しければかきつくべからず、人皆しれるなるべし、さてやがて経宗おば阿波国、惟方おば長門国へ流してけり、