[p.1617][p.1618]
平家物語

小がうの事
中宮〈〇平徳子〉の御方より、こがうと申女ばうお参らせらる、そも此女ばうと申は、桜町の中なごんしげのりの卿のむすめ、きん中一のび人、ならびなきことの上手にてぞまし〳〵ける、れいぜいの大納言たかふさ卿、いまだ少将なりし時、見そめたりし女ばうなり、はじめは歌およみ文おばつくされけれ共、玉づさのかずのみつもりて、なびくけしきもなかりしが、さすがなさけによわる心にや、つひになびき給ひけり、されども今は君〈〇高倉〉へめされ参らせて、せんかたもなくかなしくて、あかぬわかれの涙にや、袖しほたれてほしあへず、少将〈〇中略〉今は此よにてあひみん事もかたければ、いきていて、とにかくに人おこひしと思はんより、たゞしなんとのみぞねがはれける、入道相国〈〇平清盛〉此よしおつたへ聞給ひて、中宮と申も御むすめ、冷泉の少将も又むこなり、小がうの殿に二人のむこおとられては、よの中よかるまじ、いかにもして小がうの殿おめし出いて失はんとぞ宣ひける、小がう此よしお聞給ひて、我身のうへはとにもかくにもなりなん、君の御ため御心ぐるしと思はれければ、ある夜内裏おばまぎれ出て、ゆくへもしらずぞうせられける、主上御なげきなのめならず、ひるはよるのおとゞにのみいらせ給ひて、御なみだにしづませおはします、よるは南殿に出御なりて、月のひかりお御らんじてぞなぐさませまし〳〵ける、入道相国此よしお承て、さては君は小がうゆえにおぼしめししづませ給ひたんなり、さらんに取てはとて、御かいしやくの女房たちおも参らせられず、参内したまふ人々もそねまれければ、入道のけんいにはゞかつて、参りかよふ臣下もなし、男女うちひそめて、禁中いま〳〵しうぞ見えし、〈〇中略〉主上はかやうの事共に御なうつかせ給ひて、つひにかくれさせ給ひけるとかや、