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源平盛衰記
十二
安徳天皇御位事
二月十九日、〈〇治承四年〉春宮位に即せ給、安徳天皇と申、僅に三歳にぞ成せ給、いつしかなり、先帝〈〇高倉〉も異なる御事もましまさね共、我御孫子お付奉らんためにおろし奉る、是も太政入道〈〇平清盛〉の万事思様なる故也と、人々私語傾申けり、平大納言時忠卿聞之被申けるは、なじかはいつしか也と申べき、異国には周の成王三歳、晋穆帝二歳、皆繦褓の中に裹れて、衣帯お正くせざりしか共、或は摂政負て位につき、或は母后懐て朝に望といへり、後漢孝殤皇帝は、生て百余日にて践祚ありき、我朝には近衛院三歳、六条院二歳、これ皆天子の位お践給ふ、非無前従、なじかは人の傾申べきと嗔り宣ければ、時の才人達、穴おそろし〳〵、物雲はじ、去ば其は吉例にやは有とぞつぶやきける、