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源平盛衰記
二十三
新院厳嶋御幸附入道奉勧起請事
治承四年九月廿一日新院〈〇高倉〉又厳嶋の御幸あり、御伴には入道大相国、〈〇平清盛〉前右大将宗盛、大納言邦綱、藤大納言実国、源宰相中将通親、頭左中将重衡、宮内少輔棟範、安芸守在経已下八人也、〈〇中略〉彼嶋に著せ給て、御参社以前に、入道と宗盛と父子二人、院の御前に参よりて、自余の人々おば被除て、入道被申けるは、東国の乱逆に依て、頼朝お可追討之由御宣下の上は不審候はねども、源氏に一つ御心あらじと御起請あそばして、入道に給御座候へ、心安存じいよ〳〵御宮仕申候べし、此言聞召入られずは、君おば此嶋に捨置進て、帰上候なんと申ければ、新院少しもさわがせ給はず良御計有て、今めかし、年来何事おか入道のそれ申事背たる、今明始て二心ある身と思ふらんこそ本意なければ、彼起請いとやすし、いかにもいはんに随ふべしと仰有ければ、前右大将硯紙執進せり、入道近参て耳語申ければ、其儘にあそばしてたびぬ、入道披之拝て、今こそ憑しく候へとて、ほくそ笑て大将に見せらる、宗盛此上は左右の事有べからずと申、相国取て懐に入て立給けるが、よにも心地よげにて各御前へ参らせ給へと申ける時、邦綱卿被参たり、あやしと思はれけれ共、人々口お閉て申事もなかりけるに、重衡朝臣いかにぞやと阿翁にさヽやきければ、打うなづきて心得たる体也けれ共、御伴の人々は其心お得ず、国荘お給り給へる歟、いかばかりの悦し給へるぞ、いとnan(おぼつか)なく思はれたり、