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愚管抄

九年〈〇建久〉正月十一日に、通親はたと譲位お行ひて、この刑部卿三位が腹に、能円が女にて、この承明門院〈〇後鳥羽后在子〉おはします腹に、王子〈〇土御門〉の四にならせ給ふお践祚して、この院も今はやう〳〵意にまかせなばやと思召によりて、かく行てけり、関東の頼朝には、いたうたしかなるゆるされもなかりけるにや、頼朝も手にあまりたる事かなともや思ひけん、是等はしれる人もなきさかひの事也、さて帝の外祖にて、能円法印現存して在しかば、人もいかにと思ひたりし程に、ほどもなく病て死にき、よき事と世の人思へりけり、