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増鏡
四三神山
はかなくあけくれて、仁治二年にも成にけり、御門〈〇四条〉はことし十一にて、正月五日御げんぶくし給ふ、御いみな秀仁ときこゆ、そのとしの十二月にとういんこ摂政殿〈のりざね〉の姫君九になり給ふお、おほぢの大殿、〈〇藤原道家〉御おぢの殿原などいたちて、いとよそほしくあらまほしきさまにひゞきて、女御まいり給へば、父の殿ひとりこそ物し給はねど、大かたのぎしき、よろづあかぬ事なくめでたし、うへもきびはなる御ほどに、女御もまだかくちひさうおはすれば、ひいなあそびのやうにぞ見えさせ給ひける、天の下はさながら大殿の御こゝろのまゝなれば、いとゆゝしくなん、