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大鏡
三左大臣師尹
さきの東宮〈〇敦明〉おば小一条院と申、いまの東宮〈〇後一条〉の御ありさま申かぎりなし、つひのことゝはおもひながら、たゞ今かくとはおもひがけざりし事なりかし、〈〇中略〉この院のかくおぼしたちぬる事、かつは殿下〈〇藤原道長〉の御報のはやくおはしますにおされ給へるか、又おほくは元方民部卿の霊のつかうまつりつるなりといへば、このさぶらひ、それもさるべきなり、このほどの御事こそことの外にかはりて侍れ、なにがしはいとくはしくうけ給はりたることども侍るものおといへば、世つぎ、さも侍らん、つたはりぬる事はいで〳〵うけ給はらばや、ならひにし事なれば、ものゝ猶きかまほしく侍るぞといふ、けうありげにおもひたれば、事のやうだいは、三条院のおはしましけるかぎりこそあれ、うせ給ひにけるのちは、よのつねの東宮の御やうにもなく、殿上人などまいりて御あそびせさせ給ふや、もてなしかしづき申人などもなく、いとつれ〴〵にまぎるゝかたなくおぼしめされけるまゝに、心やすかりし御ありさまのみ恋しく、ほけ〴〵しきまでおぼえさせ給ひけれど、三条院おはしましけるかぎりは、院の殿上人などもまいりや、御つかひもしげくまいりかよひなんどするに、人目もしげくよろづなぐさめさせ給ふお、院うせおはしましては、世の中のものおそろしく、おほぢのみちかひもいかゞとのみわづらはしくふるまひにくきにより、宮司などだにもまいりつかうまつる事もかたくなりゆけば、ましてげすの心はいかゞはあらん、とのもりづかさのしもべも、あさぎよめつかうまつる事もなければ、庭のくさもしげりまさりつゝ、いとかたじけなき御すみかにておはします、まれまれ参りよる人々はよにきこゆる事とて、三宮〈〇後朱雀〉かくておはしますお、心ぐるしく殿も大宮〈〇一条后彰子〉も思ひ申させ給ふに、もしうちにおとこ宮もいでおはしましなば、いかゞあらん、さあらぬさきに東宮にたてたてまつらばやとなんおほせらるなる、さればおしてとられさせ給へるなり、〈〇中略〉さていかなる事にか、東宮御位せめおろしとりたてまつり給ひては、又御むこにとりたてまつらせ給ふほど、もてかしづきたてまつらせ給ふ御ありさま、まことに御心もなぐさませ給ふばかりこそきこえ侍りしか、