[p.1629]
大鏡
五太政大臣兼家
太政大臣兼家のおとゞ、これ九条殿〈〇藤原師輔〉の三郎君、東三条のおとゞにおはします、御母一条摂政〈〇伊尹〉におなじ、冷泉院円融院の御おぢ、一条院三条院の御おほぢ、東三条女院〈〇円融后詮子〉贈皇后宮〈〇冷泉后超子〉の御父、公卿にて廿年、摂政にて五年、太政大臣にて二年、よおしらせ給ひ、さかえて五年ぞおはします、〈〇中略〉うちにまいらせ給ふにはさらなり、牛車にて北陣までいらせ給へば、それよりうちはなにばかりの程ならねど、ひもときていらせ給ふとぞ、されどそれはさてもあり、すまひのおり、東宮のおはしませば、ふたところの御衣になにおもおしやりて、御あせとりばかりにてさぶらはせ給ひけるこそ、よにたぐひなくやむごとなき事なれ、すえには北方もおはしまさゞりければ、おとこずみにて、東三条殿の西対お清凉殿づくりに御しつらひよりはじめて、すませ給ふなどぞあまりなる事に人申めりし、なほたゞ人にならせ給ひぬれば、御果報のおよばせ給はぬにや、さやうの御みもちにひさしくはたもたせ給はぬともさだめ申めりき、