[p.1634][p.1635][p.1636][p.1637]
栄花物語
十五疑
殿の御前、〈〇中略〉御心ちれいならずおぼさるれば、人々も夢さわがしく聞えさするに、わが御心ちにもよろしからずおぼさるれば、このたびこそはかぎりなめれと、物心ぼそくおぼさる、殿ばら宮々などにもいとおそろしうおぼしなげくに、いとゞまことにおどろ〳〵しき御心ちのさまなり、かゝればよろづにいみじき御いのりどもさま〴〵なり、〈〇中略〉内、〈〇後一条〉東宮、〈〇後朱雀〉より大宮、〈〇一条后彰子〉皇太后宮、〈〇三条后妍子〉中宮、〈〇後一条后威子〉小一条院、〈〇敦明〉又摂政殿、〈〇頼通〉内の大い殿〈〇教通〉などみな御修法せさせ給程の御ありさま思ひやるべし、〈〇中略〉とのゝ御まへ、いまはいのりはせで、たゞ滅罪生善の法どもおおこなはせ、念仏のこえおたえずきかばやとの給はすれど、それはつゆ此殿ばらきこしめしいれず、いかでとくほいとげてんとの給はするお、大宮なほいましばし春宮の御よおまたせ給べくきこえさせ給お、心うくあひおぼしめさぬ也けりと恨申させ給へば、いかに〳〵とのみ覚しなげかせ給、御物のけどもいとおどろ〳〵しう申すもれいの事なり、おほやけわたくしのだいじ、たゞいま是よりほかはなに事かはと見えたり、〈〇中略〉とのゝ御前さらにいのちおしうも侍らず、さき〴〵世おまつりごち給人々おほかる中に、おのればかりさるべき事どもしたるためしはなくなん、内東宮おはします、三所の后、院の女御おはす、たゞいま内大臣〈〇頼通〉にて摂政つかまつる、又大納言〈〇教通〉にて左大将かけたり、又大納言、〈頼宗〉あるは左衛門督〈〇能信〉にて別当かけたり、五おのこ〈〇長家〉の位ぞいとあさけれど、三位中将にてはべり、みなこれつぎ〳〵おほやけの御うしろみつかうまつるに、〈〇中略〉ことなるなむなくてすぎ侍ぬ、おのが先祖の貞信公、〈〇忠平〉いみじうおはしたる人、我太政大臣にて、太郎小野宮の左大臣、〈〇実頼〉二郎九条師輔の右大臣、四郎〈〇師氏〉五郎〈〇師尹〉などは大納言にてさしならび給へりけれど、后たちは給はずなりにけり、ちかうは九条のおとゞ〈〇師輔〉わが御身は右大臣にてやみ給へれど、おほ后〈〇師輔女、村上后安子、〉の御はらの冷泉院円融院さしつゞきおはしまし、十一人のおのこゞの中に、五人太政大臣になり給へり、いまにいみじき御さいはひなりかし、されば后三ところたち給へるためしは、この国にはまたなき事也など、よにめでたき御ありさまおいひつゞけさせ給、ことし五十四なり、しぬともさらにはぢあるまじ、いまゆくすえもかばかりの事はありがたくやあらん、あかぬ事は尚侍〈〇嬉子〉東宮にたてまつり、皇太后宮の一品宮〈〇後朱雀后禎子内親王〉の御事、このふたことおせずなりぬるこそあれど、大宮おはしまし、摂政のおとゞいますかれば、さりともとし給事ありなんといひつづけさせ給、宮々殿ばらせきとめがたうおぼされ、僧俗もなみだとゞめがたし、うへ〈〇道長妻倫子〉はさらにもいはずきこえさせんかたなし、〈〇中略〉この御なやみは寛仁三年三月十七日よりなやませ給て、廿七日に出家せさせ給へれば、日ながくおぼさるゝまゝに、さるべき僧たち殿ばらなどゝ御物がたりせさせ給て、御こゝちこよなうおはします、いまはたゞいつしかこの東に御堂たてゝ、すゞしくすむわざせん、となむつくるべき、かくなんたつべきなどいふ御心だくみいみじ、かくて日ごろになるまゝに御心ちさはやぎて、すこし心のどかにならせ給、〈〇中略〉かくて世おそむかせ給へれど、御いそぎはうら吹風にや、いまは御心ちれいざまになりはてさせ給ぬれば、みだうの事覚しいそがせ給、摂政どのくに〴〵までさるべきおほやけごとおばある物にて、この御堂のことおさきとつかうまつるべきおほせ事の給(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、殿の御まへも、このたびいきたるはことごとならず、この願のかなふべきなめりとの給はせて、こと〴〵なく御堂におはします、ほう四町おこめて、おほがきにしてかはらふきたり、さま〴〵におぼしおきて、いそがせ給ふに、夜のあくるも心もとなく、日のくゝるも口おしうおぼされて、夜もすがらはやまおたゝむべきやう、池おほるべきさま、木おうえなめさせ、さるべき御だう〳〵かた〴〵さま〴〵つくりつゞげ、御仏はなべてのさまにやはおはします、丈六の金色の仏おかずもしらずつくりなめて、そなたおば北南とめだうおあけて道おとゝのへつくらせ給、とりのなくも久しくおぼされ、よひ暁のおこなひもおこたらず、やすきいも御とのごもらず、たゞこの御堂の事おのみふかく御心にしませ給へり、日々におほくの人々まいりまかでたちこむ、さるべき殿ばらおはじめたてまつりて、みやみやの御ふ御荘どもより、一日に五六百人の夫お奉るに、かずおほかるおばかしこきことにおぼしたち、国々のかみども、地子官物はおそなはれども、たゞいまは此御堂の夫やく材木檜皮瓦とおほくまいらすることお、我も〳〵ときほひつかうまつる、おほかたちかきもとほきもまいりこみて、しな〴〵かた〴〵あたり〳〵につかうまつる、ある所おみれば御仏つかうまつるとて、仏師ども百人ばかりなみいてつかうまつる、おなじくはこれこそめでたけれとみゆ、御だうのうへお見あぐれば、たくみども二三百人のぼりいて、大きなる木どもには、ふときおおつけて、こえおあはせておさへ、さとひきあげさわぐ、御堂の内おみれば、仏の御座つくりかゞやかす、いたじきお見れば、とくさむくの葉などして、四五百人手ごとになみいてみがきのごふ、ひはだぶき、かべぬり、かはらつくりなどかずおつくしたり、又としおいたる翁法師などの、二尺ばかりの石お心にまかせてきりめとゝのふるもあり、池おほるとて、四五百人おりたち、山お畳むとて、五六百人のぼりたち、又おほぢのかたお見れば、ちから車にえもいはぬおほきどもにつなおつけて、さけびのゝしりひきもてのぼる、かも河のかたおみれば、いかだといふ物にくれ材木おいれて、さおさして心ちよげにうたひのゝしりてもてのぼるめり、大津むめづの心ちするも、にしはひんがしといふ事はこれ成けりとみゆ、磐石といふばかりの石お、はかなきいかだにのせていてくれどしづまず、すべていろ〳〵様々いひつくしまねびやるべきかたなし、かの須達長者の祇園精舎つくりけんもかくやありけんと見ゆるお、冬のむろなつの風おの〳〵こと〴〵なり、かゝる御いきほひにそへ、入道せさせ給てのちは、いとゞまさらせ給へりとみえさせ給にも、なほなべてならざりける御ありさまかなと、ちかうみたてまつる人はたうとみ、とほきひとははるかにおがみまいらす、いまはこの御堂の木草ともならんとおもへる人のみおほかり、