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大鏡
七太政大臣道長
藤氏の御ありさま、たぐひなくめでたし、おなじことのやうなれど、又つゞきお申べきなり、后宮御おや、みかどのおほぢとなり給へるたぐひおこそはあかし申さめとて、
一 内大臣鎌足のおとゞの御女二所、やがてみな天武天皇にたてまつり給へり、おとこ女みこたちおはしませど、みかどとうぐうたゝせ給はざめり、
一 贈太政大臣不比等のおとゞの御女二所、ひとりの御女は、文武天皇の時の女御、〈〇宮子娘〉みこむまれ給へり、それお聖武天皇と申、御母おば宮子娘〈〇原作光明皇后今拠一本攺〉と申き、いまひとりの御女〈〇安宿媛〉はやがて御おひの聖武天皇に奉りて、女みこうみたてまつり給へるお、女帝にたてまつり給へるなり、たかのゝ女帝と申これなり、四十六代にあたり給ふ、これおりたまへるに、又みかどひとり〈〇淳仁〉おへだてゝ、又四十八代にかへりい給へるなり、母后お贈皇后と申す、しかれば不比等の大臣の御女二人ながら后におはすめれど、高野女帝の御母后は、贈皇后と申たるに、おはしまさぬよに后にい給へると見えたり、かるがゆえに不比等大臣は、光明皇后、又贈皇后宮の御ちゝ、聖武天皇并高野女帝の御おほぢ、〈或本又高野御母后いき給へるよに后に立給ひて、其御名お光明皇后と申となり、聖武の御母もおはしましゝよに后となりて、贈后と見え給はず、〉
一 贈太政大臣冬嗣のおとゞは、皇太后順子〈〇仁明后〉の御父、文徳天皇の御祖父、
一 太政大臣良房のおとゞは、皇太后宮明子〈〇文徳后〉の御父、清和天皇の御おほぢ、
一 贈太政大臣長良のおとゞは、皇太后宮高子〈〇清和后〉の御父、陽成院の御祖父、
一 贈太政大臣総継のおとゞは、贈皇太后宮沢子〈〇仁明后〉の父、光孝天皇の御おほぢ、
一 内大臣高藤のおとゞは、皇太后宮胤子〈〇宇多后〉の父、醍醐天皇の御おほぢ、
一 太政大臣基経のおとゞは、皇后宮穏子〈〇醍醐后〉の父、朱雀天皇并村上帝の御祖父、
一 右大臣師輔のおとゞは、皇后宮安子〈〇村上后〉の父、冷泉院并円融院の御祖父、一 太政大臣伊尹のおとゞは、贈皇后宮懐子〈〇冷泉后〉の父、花山院の御祖父、
一 太政大臣兼家の大臣は、皇太后詮子〈〇円融后〉并贈后〈〇冷泉后超子〉の父、一条天皇并三条天皇の御祖父、
一 太政大臣道長のおとゞは、太皇太后宮彰子〈上東門院〇一条后〉皇太后宮〈妍子〇三条后〉中宮〈威子〇後一条后〉尚侍〈嬉子〇後朱雀后〉はるのみやの御息所の御父、当代〈〇後一条〉并春宮〈〇後朱雀〉の御祖父におはします、こゝらの御中に后三人ならびすえて見たてまつらせ給ふ事は、入道殿〈〇道長〉より外にきこえさせ給はざめり、