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神皇正統記
文武
藤原の内大臣鎌足の子、不比等の大臣、執政の臣にて、律令などおもえらび定められき、藤原の氏、この大臣よりいよ〳〵盛になれり、四人の子おはしき、これお四門といふ、一門は武智麻呂の大臣の流れ南家といふ、二門は参議中衛の大将房前のながれ北家といふ、今の執政大臣、およびさるべき藤原の人々はみなこの末なるべし、三門は式部卿宇合のながれ式家といふ、四門は左京大夫麻呂のながれ京家といひしが、はやくたえにけり、南家式家も儒胤にて今に相続すといへども、唯北家のみ繁昌す、房前の大将人にことなる陰徳こそおはしけめ、