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愚管抄

九条の右丞相〈〇師輔〉は、兄の小野宮〈〇実頼〉どのに先立て、一定うせなんずとしらせ給ひて、我身こそ短祚にうけたりとも、我子孫に摂籙おば伝へんに、又我子孫お帝の外戚とはなさんと誓ひて、観音の化身の叡山の慈慧大師と、師檀のちぎりふかくして、横河のみねに楞厳三昧院といふ寺お立て、九条殿の御存日には、法花堂おまづ作りてとりて、大衆の中にて火打の火おうちて、我此願成就すべくば、三度が中につけとてうたせ給ひけるに、一番に火うちつけて、法花堂の常灯にはつけられたり、いまに消ずと申つたへたり、さればその御女〈〇村上后安子〉の腹に、冷泉円融の両帝より始て、後冷泉院まで継体守文の君、内覧摂籙の臣、あざやかにさかり也、〈〇中略〉さてこの九条右丞相師輔の公のいへに、摂籙の臣のつきけることは、小野宮どのうせ給ひて、九条殿の嫡子一条摂政伊尹摂籙になりぬ、是は円融院の外舅にて、右大臣にてあれば、九条殿は摂籙せざりしかば、なにとて肩おならべ競べきものなくて、かくは侍るなり、