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大鏡裏書
南円堂事
安置不空羂索観音像并四天王像也、長岡右大臣〈内麻呂〉殊発大願所奉造也、後閑院贈太政大臣、〈冬嗣〉以弘仁四年造円堂、所安置尊像也、伏惟故閑院贈太政大臣太閤下、構仁徳為家、裁忠孝為衣、在朝則周旦之輔君、帰釈則浄名之愛道、先考長岡右大臣殊発大願、敬以奉造不空羂索観音像、又常帰依妙法蓮華経、尊重至深、竭仰至篤、而尊容功了、仮以安置、法門感生、未徨講演、遅疑之間、舟壑忽遷矣、太閤下以為、尊親莫先於同心、酬往莫先於述志、仍占勝地於伽藍中、建立堂宇於清浄之刹、遂使八柱円堂挺玉墀而表麗、八臂之金容、映蓮座而居尊等也、
堂之壇つきけるが、いたうくづれけるに、翁のいできて、此歌おうたひてつかば、よもくづれじとて、うたひだしたりける、
 ふだらくの南のきしにだうたてゝ今ぞさかえん北のふぢなみ、其翁は春日の明神とぞ申つたへたる、其後北家はながくさかゆなり、〈〇又見元亨釈書〉