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神皇正統記
清和
藤原の一門、神代より故ありて国主お輔け奉る、〈〇中略〉淡海公〈〇不比等〉の後、参議中衛の大将房前、その子大納言真楯、その子右大臣内麻呂の三代は、上二代の如く栄えずやありけん、内麻呂の子冬嗣の大臣、〈閑院の左大臣といふ、後に贈太政大臣、〉藤氏の衰へぬることお歎きて、弘法大師に申し合せて、興福寺に南円堂お立てゝ祈り申されけり、此時明神役者にまじはりて、補陀洛の南のきしに堂たてゝいまぞ栄えん北のふぢなみ、と詠じ給ひけるとぞ、〈〇中略〉彼の一門の栄えし事、まことに祈請にこえたりと見えたり、