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栄花物語
十五疑
そのおりは左大臣〈〇藤原道長〉にてぞおはします、此寺の名おば浄妙寺とぞつけられたる、ことゞもはてゝ、殿の御まへおはじめたてまつり、藤氏の殿ばらみな御誦経せさせ給、僧ども禄たまはりてまかりいでぬ、おほかたこの事のみならず、とし比しあつめさせ給へる事かずしらずおほかり、正月より十二月まで、そのとしの中の事ども一事はづれさせたまはず、このおりふしいそぎあたりたる、さるべき僧達、寺々の別当所司おはじめ、よろこびおなしいのりまうす、〈〇中略〉あはれなる末の世に、かく仏おつくり、だうおたて、僧おとぶらひ、ちからおかたぶけさせ給、仏法のともし火おかゝげ、人およろこばせ給て、世のおやとおはします、我御身はひとつにて、三代のみかどの御うしろみせさせ給て、六十よ国六斎日に殺生おとゞめさせ給ふ、よき事おばすゝめ、あしきことおばとゞめさせ給、かゝる程に衆生界つき、衆生の劫つきんよや、この代もつきさせ給はんとみゆ、〈〇中略〉世の中にある人、たかきもいやしきも、事とこゝろとあひたがふものなり、うべ木しづかならんと思へど風やまず、子けうせんと思へとおやまたず、一切せけんに、さうある物はみな死す、寿命無量なりといへど、かならずつくる期あり、さかりなる物はかならずおとろふ、かうはいする物はわづらひあり、ほうとしてつねなる事なし、あるは昨日さかえて、けふはおとろへぬ、春花秋のもみぢといへど、春の霞たなびき、あきのきりたちこめつれば、こぼれて匂ひみえず、たゞひとわたりの風にちりぬるときは、水のあわみぎはのちりとこそはなりぬめれ、たゞ此殿の御まへの栄花のみこそ、ひらけはじめさせ給にしよりのち、千とせの春のかすみあきの霧にもたちかくされで、風もうごきなくえだおならさねば、かおりまさるよにありがたくめでたき事、優曇花のごとく、水におひたるはなはあおきはちすのよにすぐれて、かにほひたる花はならびなきがごとし、