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神皇正統記
村上
この天皇、〈〇中略〉御子多くまし〳〵し中に、〈〇中略〉具平親王〈六条の宮と申、中務卿に任じたまひき、前に兼明親王名誉おはしき、よりてこれおば後の中書王と申す、〇中略〉此親王ぞまことに才も高く徳もおはしけるにや、その子師房姓お賜はりて人臣に列せられしが、才芸古へに恥ぢず、名望世に聞えあり、十七歳にて納言に任じ、数十年の間朝廷の故実に練し、大臣大将に昇りて懸車の齢まで仕奉らる、親王の女祗子の女王は宇治の関白の室なり、よりてこの大臣おばかの関白の子にし給ひて、藤氏に変らず春日の社にもまいり仕奉られけりとぞ、またやがて御堂〈〇道長〉の息女に相嫁せられしかば、子孫も皆かの外孫なり、この故に御堂宇治おば遠祖の如くに思へり、それよりこのかた、和漢の稽古お旨とし、報国の忠節おさきとする誡あるによりてや、この一流のみ絶えずして十余代に及べり、