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増鏡
五内野の雪
いま后〈〇後嵯峨后藤原吉子〉の御父は、さきにも聞えつる右大臣〈実氏〉のおとゞ、その父殿〈公経〉のおほきおとゞ、そのかみ夢見給へることありて、源氏の中将わらはやみまじなひ給ひし北山のほとりに、世にしらずゆゝしき御堂おたてゝ、名おば西園寺といふめり、この所は、伯三位すけながの領なりしお、おはりの国松えだといふ荘にかへ給ひてけり、もとは田はたけなどおほくて、ひたぶるにい中めきたりしお、さらにうちかへしくづして、えんなるそのにつくりなし、山のたたずまひ木ぶかく、池の心ゆたかにわたつ海おたゝへ、峰よりおつるたきのひゞきも、げに涙もよほしぬべく、心ばせふかき所のさまなり、〈〇中略〉北のしんでんにぞおとゞはすみ給ふ、めぐれる山のときは木どもいとふりたるに、なつかしきほどのわか木のさくらなどうえわたすとて、おとゞうそぶき給ひける、
 山ざくらみねにもおにもうえおかむ見ぬ世の春お人やしのぶと、かの法成寺おのみこそいみじきためしに世継のいひためれど、これはなほ山のけしきさへおもしろく、都はなれて眺望そひたれば、いはんかたなくめでたし、峰殿〈〇藤原道家〉の御しうと、あづまの将軍〈〇頼経〉の御おほぢにて、よろづ世の中御心のまゝに、あかぬ事なくゆゝしくなんおはしける、いまの右のおとゞおさおさおとり給はず、世のおもしにて、いとやんごとなくおはするときこゆる、おくゆかしき御ほどなるべし、〈〇中略〉まことやこぞより中宮〈〇吉子〉はいつしかたゞならずおはします、六月になりてその程ちかければ、十三社のほうへい勅使たてまつらる、〈〇中略〉后の宮いとくるしげにし給ひて、ひたけゆくにいろ〳〵の御物のけどもなのりいでゝ、いみじうかしかまし、おとゞ〈〇実氏〉きたのかたいかさまにと御心まどひて、おぼしなげくさまあはれにかなし、〈〇中略〉内には更衣ばらに若宮二所おはしませど、此御事おまち聞え給ふとて、坊さだまり給はぬほどなり、たとひたひらかにおはしますとも、もし女御子ならばとまが〳〵しきあらましは、かねておもふだにむねつぶれてくちおし、かつは我御身のしゆくせ見ゆべききはぞかしとおぼして、おとゞもいみじうねんじ給ふに、ひつじのくだりほどにすでにことなりぬ、宮の御せうと公相の大納言、皇子御誕生ぞやといとあざやかにのたまふおきく人々のこゝち、夜のあけたらむやうなり、ちゝおとゞまことのたまふままに、よろこびの御涙ぞおちぬる、あはれなる御けしきと見たてまつる人もこといみしあへず、公相公基実雄大納言三人、権大夫実藤、大宮中納言公持、みな御ゆかりの殿原、うへのきぬにてさぶらひ給ふ、〈〇中略〉かくて八月十日すかやかに太子にたち給ひぬ、〈後のふかくさのいんの御事也〉おとゞ御心おちいて、すゞしくめでたうおぼす、ことわりなり、おほかたかのいみじかりし世のひゞきに、女御子にておはせましかば、いかにしほ〳〵とくちおしからまし、いときら〳〵しうて、さしいで給へりしうれしさお思ひいづれば、見たてまつるごとに涙ぐまれて、かたじけなうおぼえ給ふとぞ、としたくるまでつねはおとゞ人にものたまひける、中比はさのみしもおはせざりし御家の、ちかくはことのほかに世にもおもく、やむごとなうものし給ひつるに、この后の宮まいりたまふ、春宮むまれさせ給ひなどして、いよ〳〵さかえまさりたまふ、行すえおしはかられていとめでたし、父の入道どのさへ御いのちながくて、かゝる御すえども見給ふもさこそは御心ゆくらめとおしはかるもしるく、