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太平記

立后事
文保二年八月三日、後西園寺太政大臣実兼公の御女、〈〇禧子〉后妃の位に備て、弘徽殿に入せ給ふ、此家に女御お立られたる事已に五代、是も承久以後、相摸守〈〇北条氏〉代々西園寺の家お尊崇せしかば、一家の繁昌、恰天下の耳目お驚せり、君〈〇後醍醐〉も関東の聞え可然と思食て、取分立后の御沙汰も有けるにや、