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大鏡
七太政大臣道長
帥どの〈〇藤原伊周〉のみなみの院にて、人々あつめてゆみあそばしゝに、このとの〈〇道長〉わたらせ給へれば、おもひがけずあやしと中関白殿〈〇伊周父道隆〉おぼしおどろきて、いみじう饗ようし申させ給ひて、下臈におはしませどさきにたて奉りて、まづいさせたてまつり給ひけるに、帥殿のやかずいまふたつおとり給ひぬ、中関白殿又御前に候人々も、今二度のべさせ給へと申て、のべさせ給へりけるに、やすからずおぼしなりて、さらばのべさせ給へとおほせられて、又いさせ給ふとておほせらるゝやう、道長がいへより御門きさきたちたまふべきものならば、このやあたれとおほせらるゝに、おなじものゝ中心にはあたる物かは、つぎに帥殿いたまふにいみじうおくし給ひて、御てもわなゝくげにや、まとのあたりちかくだによらず、無辺世界おい給へるに、関白殿色あおくなりぬ、又入道殿〈〇道長〉いさせ給ふとて、摂政関白すべきものならば、このやあたれとおほせらるゝに、はじめのおなじやうに、まとのわるばかりいさせ給ひつ、きやうようしもてはやしきこえさせ給へるけうもさめて、ことにがうなりぬ、ちゝおとゞ帥殿に、なにかいる、ないそ〳〵とせいせさせ給ひてことさめにけり、入道殿やもどして、やがていでさせ給ひぬ、そのおりは左京大夫とぞ申し、ゆみおいみじくいさせ給ひしなり、又いみじくこのませ給ひしなり、けうに見ゆべき事ならねども、人のさまのいひいで給ふことのおもむきより、かたへはおくせられ給ふなめり、