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栄花物語
二十八若水
かくて中宮、〈〇後一条后威子〉神無月〈〇万寿三年〉になりぬれば、左衛門督〈〇兼隆〉の家にいでさせ給ておはします、〈〇中略〉はかなくて月もたちぬ、十二月に成ぬれば、たちぬる月にだにさおはしますべかりしに、あやしく心もとなさお覚しさわぎたり、ついたちもすぎゆけば、いとあやしくいかにとのみおぼしめす程に、十日のひるつかたより、れいならぬ御けしきなれど、わざとも見えさせ給はねば、心のどかにおぼさるゝに、日くるゝまゝにぞまことにくるしげにおはします、このとのばらや、ほかの上達部もまいりこみ給、こゝらの僧共のこえおあはせたるほど、すべて物も聞えず、とのゝ御まへ〈〇威子父藤原道長〉なやましくおぼさるれど、こしむまいらせ給、内〈〇後一条〉より、女院〈〇後一条母后彰子〉よりの御つかひつゞきたちたり、〈〇中略〉戌の時ばかりにぞいとたひらかにせさせ給へる、〈〇章子〉いまひとつの御ことおのゝしりたり、よろづにその事どもおせさせ給、その後ありさまおとなきにておしはかられたり、とのゝ御まへたひらかにおはしますよりほかの御事なし、物のみおそろしかりつるに、いのちのびぬるこゝちこそすれとて、うれしげにおぼしめしたり、うちにもきこしめして、おなじうはとはいかでか覚しめさゞらん、されどたひらかにおはしますお返々も聞えさせ給て、御はかしもて参りたり、さき〴〵は女宮には御はかしはもてまいらざりけれど、三条院御時、一品宮の生れさせ給へりしよりぞかく〈〇く下恐脱あ字〉める、内女房などのあなくちおしなど申おきこしめして、こは何事ぞ、たひらかにせさせたまへるこそかぎりなき事なれ、女といふもおとこの事なりや(○○○○○○○○○○○○○)、むかしかしこきみかど〳〵(○○○○○○○○○○○○)、みな女帝立給はずばこそあらめ(○○○○○○○○○○○○○○)とのたまはするに、かしこまりて候べし、つぎ〴〵の御うぶやしなひなどもつゞきたちたり、