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愚管抄

中宮〈〇順徳后立子〉は、〈〇中略〉次の年〈〇建保六年〉の正月より、又御懐妊と聞えて、十月十日寅の時に御産平安、皇子〈〇仲恭〉誕生、思のごとくの事出きにけり、上皇〈〇後鳥羽〉ことに待よろこばせ給て、十一月廿六日にやがて立坊有けり、〈〇中略〉さて公経の大納言はこの立坊の春宮大夫になりて、いみじくて候はるゝに、大方この人は閑院の一家の中に、東宮大夫公実の嫡子にたてゝ、ともえの車などつたへたりける、中納言左衛門督通季のすぢ也、中納言にて若死おして、待賢門院の時外舅ぶるまひ(○○○○○○)もえせず、実能実行など雲弟共の方に、大臣大将も出きにけり、