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冠辞考
八比
ひさかたの 〈あめ月〉 〈あまみやこ〉 〈雨〉 此外天の物にはみな冠らす
先ひとのいふことおいひて後にわが意はいはん、そは万葉に此ことばお、久堅能ひさかた久方乃ひさかたなど書しと、神代紀に、清妙之合搏易めるあひよることはやすく重濁之凝場難にごれるこりかたまることはかたし故天先成而地後定かれあめまづなりつちのちにさだまりぬとあるおおもひ合せて、天のかたまり成たるは、地より既に久しければ、久く堅き之(の)天といふといひ、又天の成しは右のごとくなれば、地よりも久しき方てふ意ともいへり、真淵今思ふに、上つ代にことばの下に之(の)といふは、必体の語に有ことにて、用の語にいふことなし、然れば堅きとは用の語なれば、久しく堅き之(の)といふ語は有べからず、〈堅きおかたと略いひても猶同じ〉又久しき方のてふは之(の)の辞はいふべけれど、方(かた)てふ語のいひざま、古への人の言とも聞えず、且凡の語お神代の事にもとづきて意得るは常ながら、古への語のもとづき様は、みやびかにしてやすらか也、右の二つは意つたなくしておもくれたり、よく古意古語お思はで、ゆくりなくおもひよれるものなるべし、されば年月におもひて、漸おもほしき事あり、そは先〈つ〉久堅久方ともに例の借字とす、さて天の形はまろくて虚(うつ)らなるお、包の内のまろくむなしきに譬て、包形(ひさかた)の天といふならんと覚ゆ、続日本後紀に、〈興福寺の僧が奉る長歌〉狐葛の天と書しお、荷田宇志の比佐加多乃阿米(ひさかたのあめ)と訓れしぞ、即是也ける、〈狐は包の意にて、円包もて譬ふ、葛は借字にて象の意、且ひさごのこと、かたちのちお略けり、はぶく例は前後に多し、〉礼記てふからぶみに雲雲、大報天而主日也、〈略〉掃地而祭於其質也、器用陶包、以象天地之性也、〈鄭玄雲、観天下之物、無可以称其徳、〉てふも、陶は土器なれば即地に象り、包は空にみなりて内の虚なれば、天の形に象といふ歟、此外に天地の形に象るべき物なければ、注にもしかいへりけん、唯天産の物もてする意のみならば、徳とはいはじやと思へば、これおも思ひ合すべき也、且仁徳紀に全包お宇都比佐碁(うつひさご)とよみ、和名抄に沫雨お宇太加太(うたかた)とよめるも、虚象(うつらかた)の意なるおおもひむかへよかし、