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東雅
一天文
天あめ〈◯中略〉 天又そらといひし事は、太古の語なりとも見えず、あめといひ、そらといふ斥言ふ所同じからず、〈古事記に、太古の初、陰陽の二神、大倭豊秋津島お生む、又名は天御虚空豊秋津根あめのとよあきといふと見えて、又旧事紀には、饒速日尊、天磐船に乗りて、大虚空おほに翔行き、巡視て天降り給ひき、虚空(そら)みつ日本国とは、即是おいふ歟としるされ、又古事記に彦火火出見尊の御名お、天津日高日子穂々手見命と申し、又天津日高の御子虚空津(そらつ)日高とも申せしと見えたり、これら上古の時の事に、そらといふ語の見えし始なり、然るに我国の語に、天おさしておほそらといふは、則阿修羅(あすら)なり、すべて上古の語に、梵語多かりなどいふ説あり、天下の言も〉〈とより多し、彼是の方言お合せ聞たらんには、多かる中に相似たる事もなどか無からざらむや、されど天おばあめといひ、虚空おばそらといふ事の如き、そのさし雲ふ所同じからねばこそ、旧事紀には天御虚空とも、又大虚空お翔行きて天降るともしるされ、古事記には、天津日高の御子空津日高としるしたれ、上古の語には、あめといひ、そらといふ事の、相わかれし其徴の明かなる、旧事紀、古事記等の書に見えし処、既にかくの如し、天の字お読てそらといふは、後世に出し所にて、阿修羅等の説、信ずるに足べからず、〉