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両部神道口決抄

日蝕月蝕、釈教には帝釈と修羅と闘諍し、修羅敗北の時逃隠る処ろ見ざらしめんがため、日月お晦くすと雲雲、五儒にては、月は水にして元来光り無し、日の光りお請て以て照る、十五日に至て日月相対するの時、地球隔て日の光り月に遷らず、月欠て月蝕と雲ふ、故に月蝕は十五日に限り、日蝕の事、朔日は日月同時に出て同時に入る、日は遠く月近く、日の前に月重り、月輪日お隔て日光欠、是お日蝕と号す、故に日蝕は朔日に限れり、修羅の敗軍は朔日十五日に窮るや否や、然も吾儒は何時何刻何分なん釐何毛欠ることお、百歳の前よりも知る、桑門の面々此事如何とするや、釈教の虚妄お可知、